また開く花のように

5章

 

死んだこともないのにどうして私たちが生まれ変わるなんてわかるのと言い返した私に、あの日、友ちゃんは、「綾ちゃんもいつかわかるよ」と、答えた。

けれど、四十半ばになる今まで、ああ、彼女の言っていたことは本当だったのだと思えるような神秘体験はしなかったし、これから先もそういった経験をする可能性は少ない。

それでも、彼女の言葉などすっかり忘れて大人になった私に、生まれ変わりというものに関心を持ち、本を読みあさり、何万というお金を払って前世をみてもらうような日々が訪れたというそれだけでも不思議な気がしてしまう。

皮肉なものだ。

もし私がやっかいな病にかかることなく順調な人生を送っていたなら、たとえ生まれ変わりについて書かれたあの本に出会っていたとしても、あれほど興奮することはなかっただろう。

本を貸してくれたのはバイトしはじめたばかりの自然食品店の店長。大学を卒業して三年が経とうとするときのことだった。

 

キリスト教学科などというかわった学科でも卒業後を見据え成績表に確実にAの数を増やしていった特に女子の中には、名の知れたところに就職した人もいる。

けれど、四年生の夏休み、例の福祉祭りが終わった数日後に、さすがにあきらめざるをえない振られかたをし、彼と結婚してお母さんになるという唯一の夢を失った私は、就職活動をすることもなく今でいうところのフリーターになった。

親にいえば必要なだけ小遣いのもらえる甘ちゃんだから振られたんだ。そんな思いもあって、四年の九月にはじめたアルバイト。だが、最初のパン屋は「君にお金はあげられない」と、はっきり言われて首になった。

頭の回転も身体の動きも人より遅いうえに、例の強すぎる不安感が大学という温室を一歩出たとたんに思いきり私の足を引っぱったのだ。

しかし、不安感が強すぎるということ自体認めたくなかった私は、むきになって再びパン屋のバイトを探した。

材料にこだわった身体にいいパンを作りたい。同じ思いを抱いた三人の男女がはじめたそのお店は、店頭での売上はそれほどでもなかったが、複数のルートから入る注文に応じてパンを焼いていて、私のような素人もすべての工程に参加することを許してくれた。

四年生の後期になると、卒業や卒論のためにまめに学校に顔を出すようになった彼が、例の彼女と仲良く昼食をとったりベンチで談笑したりする姿が目につくようになったこともあったのだろう。

私はいつの間にかパン作りに夢中になっていた。

恥ずかしながら、生活していくにはどれだけのお金が必要なのか全くわかっていなかったから、初めてもらうバイト代が安すぎるとも思わなかったし、就職というものが頭をよぎらなかったのは最初から自分に会社勤めは無理だとわかっていたからかもしれない。

年が明け試験が終わり二月になると、社会保障のないバイトにはかわりなかったが、朝から晩までパン屋で働くようになり、卒業式に出ることもなく大学生活を終えた。それがフリーター生活のスタートだった。

「君にお金をあげられない」私は、前のパン屋で言われた言葉を否定したかった。

しかし、人の口に入るものを作るとなると例の不安が騒ぎだし、髪の毛だけじゃなく画鋲やらガラスの破片やらありとあらゆるものがパン生地に入ってしまうのではないかという妄想がふくらんでしまうのだ。ただでさえ不器用なうえに、余計な神経を使っての作業はどうしても時間がかかるため、仕込みを任された日には始発電車で職場に向かった。

疲れ果てて帰っては服を着たまま布団の上にたおれそのまま朝を迎えることもしばしば。

けれども、それじゃあ本当にパン作りが好きだったのかといえばそうでもなかったのだから、長く続けるには無理があった。

同じような労働条件のアルバイトを転々とし、そして、卒業から三年が経とうとするとき、私はあの自然食品店にいきついた。

店先には有機野菜が並ぶ小さなお店。バイトは私ひとりきり。

三十代半ばで大病を患い生活が百八十度変化したという店長は食や健康と同じように精神世界にも関心を持っていて、店の奥にある休憩室の本棚に、表紙もなくちゃちな作りのあの本は並んでいた。

店を辞めてから二度とお目にかかれなかったため、正確なタイトルももう思い出せないが、背表紙からは何が書かれているかさっぱりわからないという理由で、私はあの本を手にした。そして、ページをめくってみたもののやっぱり内容がわからないと本棚に返すまえに、店長から

「それ面白いよ。どうもね、作者が自分自身の体験をもとに書いたらしいんだ。よかったら読んでみない」と、言われたため家に持ってかえることとなったのだった。

話の内容は、突然の事故で命をおとしてしまうことが恐くてたまらない男が、輪廻転生という考え方と出会い、恐れから解放されていくというもの。

そういえば本を家に持ってかえったあの日、父と母は友ちゃんのはじめての個展に出かけていていなかった。

数週間前、はしゃぐ父から

「綾、綾も一緒に友ちゃんの個展に行くぞ。よし、その日は一流ホテルに部屋をとろう。みんなで美味しいものを食べて、綺麗な部屋に泊まるのもたまにはいいだろう。おい、綾、綾の休みの日はいつなんだ?」と、きかれたが、週に一度の休みは身体を休めたいから駄目だとことわると

「そうか、じゃあ、父さんと母さん、ふたりで日を決めて贅沢してくるからな」と、あっさり言われてしまった。

研究科を出てからどこからか奨学金をもらいヨーロッパに留学し、あちらでもそれなりの評価を受けて日本に戻ってきたという友ちゃん。

もちろん、父からしつこく誘われたところで、自分とはもう関係ない遠い世界の人となった彼女の個展にいく気など、私には全くなかった。バイトから疲れてかえってから、父や母から彼女の絵がいかに素晴らしかったかをきかされるのだって面白いわけがない。

あの日、バイトを終えて夜の九時頃駅についた私にとって父母のいない家に帰れることがどんなにうれしかったか。前の日曜日はセールのため出勤したので、翌日は二週間ぶりの休日。

小学校五年生のとき二階を改築して作ってもらった自分の部屋のベッドに横になると、私はあの本を開いた。

疲れているにもかかわらずすぐに眠ってしまわなかったのは、主人公もまた確認行為を繰り返し、強迫観念に苦しんでいた時期があったから。彼の場合は自分自身の死が恐くて、私の場合は誰かの命を奪ってしまうことが恐い。対象は違ってもコントロールできぬ激しい恐れによって、ばい菌をおとすために手を洗いつづけ、火の元の確認を繰りかえさずにはいられなかったというてんで私たちは同じだった。

昭和二十五年、東京生まれ。著者経歴からわかったのはそれだけ。そして、本のどこにも、彼の体験に基づく実話だと書かれてはいなかった。

だから、実際どうだったのかはわからない。けれど、たとえ著者が作り上げたお話しの主人公でしかなかったにせよ、私は、あの晩、はじめて自分と同じ苦悩を抱えた人と出会った。

頭が狂ってしまったことに恐れおののきながら、他人ばかりか自分にまで、どこもおかしくないというふりをしつづけてきた私と違って、彼は、親にも医者にも自分の悩みをぶつけた。

「ねぇ、僕たち、明日車にはねられ死んでしまうかもしれないんだよね。母さん、母さんはそれが恐くない? 僕は恐くてたまらない。やりたいことを全部やって百歳越えたらもういいかなって思えるときがくるかもしれない。けど、何もしていないうちに突然、すべてが終わりになってしまうのは悲しすぎるよ」

「先生、ビルのベランダから落ちてきた植木鉢が頭にあたって高校時代の同級生が死んだんです。ショックでした。上から何かが落ちてきそうで怯えながら歩く自分に、そんなことがあるはずはないと一生懸命言いきかせてきたというのに、実際、人は、道を歩いていて突然空から降ってきたものにあたり死んでしまうこともあるのだと実証されてしまったのですから。私はこの恐怖をみんなと共有したいと思い、高校時代の友だちに電話をかけまくりました。でも、彼ととても仲の良かった同級生でさえ、『運命だから仕方ない』と、言うだけでした。僕には、そんなふうに流すことはできません。だって運命だとしたら、こんな残酷なことはないじゃないですか。彼には婚約者もいたし、一流カメラマンになるという夢もあった。それなのに、何の前触れもなくいきなり幕が下りてしまうなんて。こんなめちゃくちゃな筋書きをいったい誰が書いたというんでしょうか? きっと、みんなは、彼は特別で自分の人生にはそんな不幸が待ち受けているわけがないと思えるのでしょうね。でも、僕には思えない。僕の人生には、彼と同じように、突然の幕切れが用意されているそんな気がしてならないんです。そして、僕は、それがいやでたまらない。父や母を悲しませ、何ひとつ成しとげないうちに、一度きりのチャンスを奪われてしまうなんて、絶対にいやなんです。先生、誰か僕に、君の人生にそんな幕切れは用意されていないと断言してくれる人はいないでしょうか? そうしたら僕は、安心して人を好きになり、夢を追いかけることができるのですが」

本のタイトルさえ覚えていないのだから、どれだけ正確かはわからないが、そんな彼の言葉が他の人にはわからずとも私には痛いほどわかって、ベッドの中で何度うなずいたかわからない。

突然の死や取り返しのつかない過失に怯えることのない人たちは、火の元確認を繰りかえす私たちに、病院にいったほうがいいと言うだろう。

でも、たとえ強迫行為をぴたりと止めてくれたとしても、医者が、理不尽な事故の起こるわけを説明してはくれないし、ましてや、こうこうこうだからあなたの人生に、あなたの恐れているようなことは絶対に起きないと断言してくれたりはしない。

医者から離れた私たちが宗教に救いを求めるのはごく自然な流れ。けれど、作り上げられた教義にはまり救われたと勘違いしてしまうよりはずっとよかったのだろうが、私の場合は一番身近だったキリスト教が信じきれずに挫折した。

救われる道がないのなら自分の恐れが強すぎると認めるのも悔しい。

実際、他の人がどれぐらいの恐れを抱えて生きているかなんて、食欲や性欲と同じようによくはわからないもの。

「あなたにお金はあげられない」最初のパン屋で言われた言葉を否定したくてむきになって働いていたあの頃、肩をいからせ首を縮めて必死で恐れや不安を押さえ込んでいた私は、人として生まれてきた以上、一生、この辛さを抱えて生きていくしかないとすっかりあきらめていた。

けれど、アメリカで出会った霊能者の女性が、本の中で彼に、

「あなたは本当に、私たちが、肉体の死によって無になってしまうような小さな存在だと思っているの?」と、問いかけた瞬間、突然、一条の光が差してきたのだ。

ただ一度きりこの世に生を受けながら、いつ襲ってくるかわからない不幸に怯えつづけなければいけない無力な人間。そう思いながらも、私はどこかで、こうして生きているのには何か大きな意味があるのではないか、宇宙には私たちの知らない偉大な真理が隠されているのではないかと感じていたのだろう。ああ、ついに秘密を知るときがきた、そんな興奮を私は今も忘れない。

「私たちの魂は、今までにいくつもの生を経験してきたように、これからも、肉体の死とともに滅びることはなく、やがてまた、成長するために新しい肉体に宿り生まれ変わってくる」

 

二〇〇九年の今、彼女が彼に伝えたこの言葉は、人々にどう受けとめられるものなのだろう。抵抗無く受けとめられる人と、うさんくさいと顔をしかめる人、もし、まだ圧倒的に後者が多いとしたら少々寂しいがこればかりは仕方がない。

けれど、何はともあれ、輪廻転生という言葉は知っていても、全くリアルさのないおどろおどろしいものとしかとらえていなかったあの頃の私にとって、彼女の言葉は、それこそ魂をふるわせるような新鮮で衝撃的なものだった。

これこそ真理だと確信したわけではない。しかし、人の命を奪ってしまっても、なお生きていくための心の支えを探し求めるほど強迫観念の強かった私は、突然の死を恐れる彼と同じく、彼女の言うことが本当であってほしいと強く願った。

残された者の悲しみ、愛する人を残し夢半ばで今生を終えるものの無念。取り返しのつかないことにかわりはない。それでも、私によって命を奪われた人が無に帰してしまうわけではなく、いつかまた、新しい肉体に宿りこの世に戻ってくる。そして、罪を犯した私にも、すべてを忘れ新しい生をいきるチャンスが与えられるときがくる、そうだとしたら、どんなに有難いことだろうか。中高時代のように目に見えぬ刺に振り回されることも、地面を壊したような気がして来た道を戻ることもほとんどなくなってはいたが、真剣に、そう考えるほど、二十代半ばになっても私の恐れは少しも薄らいでいなかった。

読みすすめる本の中では、主人公の彼が、霊能者たちから、地震や船の事故などで若くして亡くなった複数の過去生を教えられ、やがては、呼吸を使った退行セラピーによって彼自身がそれらを再体験していく。

「あなたを脅かしてしているのは、これから起きることではなく、もうすでに済んでしまった、過去のことなのです」というセラピストの言葉には、過去起きたことが、また起きないとどうしていえるのかと少々疑問だったが、ともかく、過去生の辛い体験を思い出し封印していた感情を解放しながら、魂が不滅であることを実感していく彼からは、死への恐怖が消えていった。うらやましかった。戦争のため、結婚の約束を果たせなかった前世の恋人と再び巡り会いハッピーエンドを迎えたことも、不安や恐れから解放され、日々を思いきり楽しめるようになったことも、ともかくうらやましかった。

私も不安から解放されて楽になりたい。運命に翻弄されるだけの頼りない存在だと思っていた自分が、すでにいくつもの生を経験してきたもっと大きな存在だということを確信できたら、不安だって消えていくに違いない。

キリスト教には持てなかった大きな期待のせいだろう。押さえ込んできた不安から解放され楽になりたいという思いが、一気に込み上げてきたあの日を境に、私は、精神世界というものにすっかりはまりこんでしまった。