また開く花のように

14章

 アロマの初級講座を受け終えたとき、父は、通所施設には通いはじめてはいなかったものの、一日短時間、ヘルパーさんや看護士さんに来てもらうだけで大丈夫だと思えるほどに落ち着いていた。

 そこで、私が夜遊びをしたいときはいつでも来てくれるという約束で、ひとまず、友ちゃんが週二回定期的に我が家に泊ることは終了となった。

 尋常ではない暑さのなか、彼女が鎌倉からせっせと通ってくれたことで、精神的にも肉体的にもどれほど助けられたかわからないし、子供時代に勝るほど彼女と深く接した一ヶ月を、今は、心から楽しかったと思う。

 しかし、当時はといえば、施設見学のときのように、友ちゃんについていけず気が滅入ってしまうことが時々あったのと同時に、将来への不安から生じるいらいらを彼女のせいにしてしまうことが度々あった。

 友ちゃんが我が家に泊ってくれた最後のとき、朝、私がバイトに出かける少し前には奥の座敷から起きだしてきたものの、眠剤が抜けきらないのか、ソファーに座り込み大あくびをしている彼女に無性に腹が立ったのも、楽しみにしていたアロマの講座が終わってしまい、また郵便局だけの生活に戻ってしまった自分と対照的に作品展の日程が決まったという彼女に対するやっかみのせいだった。

 (いいよなー、お兄ちゃんがせっせと人形を作ってくれて、売れたお金で友ちゃんは好きなことができるんだもんなー)

 兄が聞いたらえらく怒っただろうが、心の中で底意地の悪い言葉をつぶやいてから、私は、いつものように玄関に見送りにこようとする彼女に向かって「どうも有り難う。じゃあ、いってきます」と、言い放ち、居間のドアをパタンと閉め、ふりきるように家を飛び出した。

ちらりと目に入った赤いズックを、せめて真ん中に揃えてあげることができていたならと思ったりもしたが、時を戻すことはできない。

 

旧盆から数日経ったあの日の朝、私は、時計が鳴るまえに目が覚め、食事の仕度をするためいつもより早く一階に下りた。

暑いときは冷房を入れるよう皆に言われたこともあって、いったん切れた冷房を父が再始動させていることも多かったが、あの日は、その音もせず居間は静まりかえっていた。私は足音をしのばせ父のベッドに近づき彼の顔を覗きこむ。特に異常なし。目を閉じた彼の顔は穏やかだった。

向きをかえ再び足音を忍ばせ台所へと歩きはじめると、後ろから

「もう起きたのか?」と、優しい声がした。

「うん」

ベッドのわきで電話が鳴り出したのはそのときだった。時計に目をやると、まだ七時になっていない。手を伸ばそうとはしない父に「誰だろう?」と、言いながら、私は受話器を取った。

「綾?」

「うん。お兄ちゃん? どうしたの?」

「驚かせて、ごめん」

「え?」

「友が死んだ」

「どうして?」

「心臓発作を……」兄の声が途切れ、私の中心を冷たい感覚が走り身体が震えた。

ついこの前、そこのソファーで大あくびをしていたはずの友ちゃん。「おかえりなさーい」と、玄関で私を迎えてくれた友ちゃん。

友ちゃん、友ちゃん、友ちゃんが死んだ。

涙が頬をつたいはじめ声が出ない。

ぼやけた視界のなか、父の手がこちらに伸びてくる。今、思い出すと、そのしぐさはすべてを知っていたかのように静かだったが、あの時の私は、年老いた彼が受けるショックを思うと辛くて辛くて、受話器を渡すと奥の座敷に逃げ込み、畳に突っ伏して泣いた。

二週間前にはこの畳の上でおおらかないびきをかいていた友ちゃん。友ちゃんは、あんな事故にあおうが文句も言わず精一杯生きていた。そして、彼女の回復をひたすら祈りつづけてきた兄と父は、ようやくここまで来れたと胸をなでおろしていたというのに……この世の中は、これほどまでに残酷なことを用意しているのか、ここまでやるのか、と、あの時は、心の底からそう思った。

 

兄から代わるように言われたのだろう。「綾」という父の声でしぶしぶ部屋から出て受話器を受け取ると、「そっちで葬儀をしようと思っていたんだけど、父さん、どうしてもひとりで見送らせてくれっていうんだ。葬儀の日程が決まったらまた電話するけど、その時まではこっちに来ないで父さんのそばにいてやってくれよな。すべてが終わったら、自分も友を連れてそっちに帰るから」と、兄が言った。

 

自分のせいに思えてならなかったのだろう。父は食欲もないし、春子叔母さんに来てもらおうと言っても首を縦にふらない。ひとりにして通夜にいくことさえ心配だったが、ただでさえ寂しい式だろうから、せめて私だけでもと鎌倉へ向かった。

しかし、会場にはびっくりするほど多くの人が集まっていたし、有難いことに、事故にあってからも彼らが友ちゃんを愛しつづけてくれていたことがひしひしと伝わってきた。

花火大会のため新調した浴衣を着た彼女の顔も穏やかで優しくて、この世の残酷さを恨んだ私も、帰りの電車の中では、彼女は生き切ったのだと思えるようになっていた。

 

そんなこともあって、次の日の葬儀には父にもぜひ参列してほしいと思い、「タクシーで行こうよ」と、かなりしつこく誘ったのだが、「最後のわがままだと思って許してくれ」と、やはり首を縦に振ってはくれなかった。

電話が鳴ったのは、ひとりで行くしかないとあきらめ、そろそろ喪服に着替えようと思っていたとき。

「駅前の花屋ですが、」

「はー」

「お届け物がございますが、今からお伺いしてよろしいでしょうか?」

「あー、はい。十五分以内にもってきていただけます?」

「わかりました。それでは、すぐにお伺いいたします」

誰かが友ちゃんへのお花をうちに送ってきた、そうとしか考えられない。せめて父の心をなぐさめてくれるような花ならいいなと私は思った。

しかし、花屋のお姉さんが手にした花はバラやガーベラと、友ちゃんのためだとしたらあまりにも華やかだった。

「山瀬達也様へお届けものです」そう言われて、はじめて父の八十才の誕生日を思い出した私は、まさかと思いながら送り主の名をきいた。

「山瀬友様からです」

「い、いつ注文を受けたんですか?」

「えーと、十七日ですね」

「電話ですか?」

「いえ、一緒に届けてほしいと、こちらを持って店までいらしてくださいました」花屋さんは薄い包みを差し出しながらそう言った。

亡くなる前々日、これを託すため、友ちゃんがわざわざ、我が家の近くまで来ていたのだと思うと受け取る手が震えた。

 

「お父さん、友ちゃんからだよ、ほら、こんな綺麗なお花と、もうひとつ、何だろうこれ?」ベッドわきのテーブルの上に籠にアレンジされた花を置き、花屋さんが一緒に届けてくれた包みを父に手渡す。彼には、開けずとも中味がわかったようで、何も言わずそれを胸の上で抱え込んだ。

私は、何なのか知りたかったが、友ちゃんが一緒にいてくれれば大丈夫だと安堵しながら、喪服に着替え家を出た。

 

葬儀が終わり、兄より一足先に家に帰ると、父は、私が出かけたときと同じように友ちゃんからのプレゼントを抱え込んで寝ていた。ただ、包装がとられていたので、それが彼女の描いた絵であることがわかった。熟睡している父の手に力はなく、そっと取り上げ、表に返す。すると、そこには、私にとってもなつかしい一場面が描かれていた。

おじさん、おばさん、友ちゃん、お母さん、お父さん、お兄ちゃん、そして、私。染野家、山瀬家の七人で、S公園に出かけた遠い日のこと。芝生の上にビニールシートを広げ、おばさんと母が腕をふるったお弁当やお菓子を食べてから、私たち子供は、友ちゃんを先頭に青い空へと伸びている木々の元へと走っていく。まず、友ちゃんが一本の木を登りはじめ、兄がそのすぐ隣りの木を登りはじめる、そして私は、ちょっと迷ってから兄に続く。友ちゃんや兄のようにするするっ、とはいかないが、大人たちもいてくれるし、太い幹は我が家の木々よりもずっとずっと頼もしい。「こんなとこまで登っちゃった」という幼い私の声が聞こえ、新緑の間から差し込む日の光の暖かさまで感じられるほど、友ちゃんの木登りの絵は、楽しい絵だった。

でも、描かれている人物は七人なのに、誰が誰なのかわからないだけでなく、登っているのが子供で、手助けしたり見守ったりしているのが大人というふうにも見えない。

下から押し上げてもらっているのが自分だと思っても、次の瞬間には登ってくる人を上から引き上げようとしているのが自分のようにも思えてくる。たぶん、友ちゃん自身も、これはお父さん、これは私というふうには描いていなかったのだろう。人物だけではなく、木々もそして太陽もすべてが繋がっていて、そこには自分が自分がと主張しあうような境界がない。

別に説教臭い絵では全くないのだが、「独りじゃないよ」という友ちゃんの声が、私には聞こえてくるようだった。

「負けた」なんて言ったら、「何、言っているの」と、友ちゃんはあきれた顔をするだろうが、山瀬友という画家にはかなわないと、あの時、初めて思った。

 

服を着替えてから、父がしていたように額に入った彼女の絵を胸に抱え込み、ソファーに座り込んでいたとき玄関のベルが鳴った。すぐに鍵を開ける音が聞こえたが、兄が居間に入ってくるまでには少し時間がかかった。

いつ目を覚ましたのか、父が「俊、すまなかったな」と、声をかけると、兄は、「たくさんの人が集まってくれたよ」と、うれしそうに言ったが、顔色は悪く、声はかすれていた。

兄が紺色のバッグから友ちゃんの遺骨を取り出し白い布を敷いた茶箪笥の上に置くと、父は、リモコンを使い自分でベッドの背を起こし、四脚杖を使い食卓の椅子へとゆっくり移動しながら、私に言った。

「ビールと友ちゃん手製の梅ジュース、持ってきてくれ」と。

そして、友ちゃんの前にも父と同じ梅ジュースの入ったコップが置かれ、三人が食卓についてから、もう一度、口を開いた。

「俊、綾、一緒に染野さんと友ちゃんの美術館をつくろう」と。

すぐそばにいた人が突然いなくなってしまい、虚無感に襲われることを恐れていた私たちふたりに、その言葉がどれほどの勇気をあたえてくれたことか。

兄は父のコップに自分のコップをコツンとぶつけてから、「まずは友の作品展、手伝ってくれよな」と、言った。

 

兄の顔がほんのりと赤くなってきた頃、私は、勇気を出して気になっていたことをきいてみた。

「お父さんと一緒に通所施設の見学に行った日、ほら、友ちゃんが友達の出版記念パーティーに行くとかで、夕方、お兄ちゃんがバトンタッチした日、あの格好じゃあまりにもひどいから、それじゃあダメだって言ったんだけど、友ちゃん、なんか言っていた?」

「ああ、言ってた、言ってた」

「な、なんだって?

「二人だけになったとき、『ねぇねぇ』って、真剣な顔で言ってくるから何かと思ったら、」

「うん」

「『綾ちゃんって、頭、かたいね』って、まじめな顔で言うんだよ。あんまり真剣だからおかしくてさ」そして、兄は顔をくずした。

だが、友ちゃんにしてみれば精一杯のお洒落だったのに、あんなこと言って傷つけてしまっただろうかと悩んでいた私にしてみれば、ちょっと待ってよ、だ。

「お兄ちゃんも、あの格好見たでしょう?十代、二十代ならまだしも四十過ぎたおばさんが真ん丸いお腹だして、義父の施設見学に行くかー? どうして、私が、頭かたいなんて言われなきゃいけないの!」けれど、そう言いながらも、一生懸命、私の頭の周りのもやもやを振り払おうとしていた彼女の姿が浮かび、悪口を言っていたのではなく本当に私を心配してくれていたのだろうと思えてくるとおかしくて、最期は父も加わり三人一緒に笑ってしまった。