また開く花のように

序章

「ねぇ、散っても散っても春が来ればまた開く花みたいに、私たちも、死んだらそれで終わりじゃないんだよ。何度も何度も生まれ変わってくるんだよ」

 

日曜日には冷たい雨が降っていて、青信号を逃すまいと右手から伸びた枝の下を早足で通り抜けた桜の木。気温の上がった数日で一気に花開いたのだろう。改札を通りながら青い空と淡いピンクのコントラストに目を奪われた私は、交差点に向かう人の邪魔にならぬよう右手にずれ、太い幹の前で空を見上げた。

青をほとんど覆い尽くすほど重なりあった薄い花びら、それがかすかに揺れたとき、私は、ふいに、遠い昔まだ小学生だった友ちゃんが口にした言葉を思い出した。

兄は真新しい中学校の制服を着ていて、私と友ちゃんは普段着。どこに行くところだったのか、あるいは、どこから帰ってくるところだったのか思い出せないが、兄の格好からすると、三人一緒に春を迎えた最後の年のことだったのだろう。

「え~、ほんとう?」あの頃から一つ年下の友ちゃんにひかれていたにちがいない兄は、驚きと尊敬で大きくはない目を見開いていた。たぶん負けず嫌いの私にはそれも面白くなかったのだろう。

「どうして死んだこともない友ちゃんにそんなことがわかるの?」一戦まじえるつもりでそう言った。けれどかえってきたのは「綾ちゃんもいつかわかるよ」という言葉だけだった。

私が三歳のときに亡くなった父の父、つまりおじいさんが兄の後ろでほほえんでいると言ったのも嘘じゃなかった。友ちゃんには、子供のころから、普通の人には見えないものが見え、感じられぬものが感じとれた。だから、誰に教わるでもなく、死がすべての終わりではないと知ったのだろうか。それとも、優しかったおばさん、あるいはおじさんにきいたことだったのだろうか。今となってはもうわからない。

 

右から左へと流れていた車が、交差点の手前で一台、二台と止まり再び列を作りはじめると、私は、駅から歩いてくる人々と合流し、変わったばかりの信号をみつめながら車道へと足を踏み出した。

ここは、私が、嫁に行く日を待ち焦がれながら四十年以上を過ごしてしまった町。

待ち人が一向に現れないときには、親が死んだら土地を売っておさらばしたいと思っていた場所だし、ここで暮らした四十数年、幼少期と最後をのぞけば思い出はきわめて暗い。

四十二歳で生まれ育った家を出て奇特な男性と暮らしはじめてもうすぐ三年。もう一度ここで暮らしていた頃に戻りたいかときかれれば、私は、きっぱりと首を横にふる。

それでも、急行の止まらぬ小さな駅に降り立つたびになつかしさが込み上げてくるのは、今が穏やかなおかげかもしれない。

駅前通りわきのベンチでは分厚いコートを着たおばあさんがごく普通の三毛猫を抱えてうたた寝をしていて、まだ裸の木々たちが彼女を見下ろしている。

何とものんびりした光景。私はあらためてこの町に今も帰ってこられる幸せをかみしめる。

けれど、左手に渡り正面の神社からボーボーという鳩の声がきこえてきても、塗装のはげた古い家が見えてくることはない。

なつかしい石門の奥にかわりに見えてくるのは、とんがり屋根のちょっと洒落た家。誰かが優雅な生活を送っているものと勘違いされるかもしれないが、家の前には木の掲示板が立っていてその一番上には「染野美術館」という文字が。そう、かつて我が家があった場所に今建っていて、私が心の中で(ただいま)と言いながら帰る場所とは、小さいながら美術館なのだ。

木の扉を押して染野美術館の中に入ると、正面右手に受付がすぐみつかるため見落としてしまう人もいるかもしれないが、左手のガラスケースの中には二体の人形が飾られていて、みんなのことをそっと迎えてくれている。

顎のちょんととがった少し生意気そうなやせた女の子と、穏やかな笑みをうかべるぽってりと太った中年の女性。

対照的なふたりの組み合わせは何となく滑稽で笑みがこぼれてしまうほどだが、実は、この二体の人形とも、兄のこよなく愛した友ちゃんがモデルなのだ。